夕立。

夕立ち

「弁当忘れても傘忘れるな」。昔からそう言い伝えられるほど、山陰は雨が降りやすい。

今日も、サーッと静かな音が聞こえ始めたと思ったら、外は雨降りだった。

時間は空にピンクとブルーが入り混じる7時頃。この時期はまだ明るい。

「あらぁ、この時間に天気雨だねぇ」そう言いながら、出窓のうしさん(シニア猫)の背中を撫でた。

最近は、陽射しが気にならないこの時間に出窓にいることが多い気がする。だんだんと夜に近づく空気のなか、道の向こう側でハナミズキのピンク色が揺れている。小さな虫を狙ってか、低い場所を燕の大群が飛び交うのもこの時間だ。

突然の天気雨の、今日。ハナミズキはもう咲いていない。燕たちは新たな岸へ行ったのか、代わりに小鳥の大群が飛び始めた。

ハナミズキを見ていたのも、燕を眺めていたのも、つい最近のことなのに。まだ1カ月もたっていないほどなのに。

うしさんの横には、もうまりちゃんはいない。

長く、一緒にいれば言葉が通じない生き物の考えも大半が理解できる。わけがわからない人間よりも、ずっと意思疎通が図れる。

ただ「うちにきてしあわせでしたか?」その答えだけはどうしたって聞くことができないのだなと、いつも考えていた。

でも、いつもとなにひとつ変わらず過ごすうしさんを見ていて気が付いた。「しあわせ」「ふしあわせ」の基準なんて、ヒトの驕りでしかないのだと。

生き物にはどちらの言葉も存在しない。ただ生きているだけ。

食べ、眠り、陽射しや吹く風に心地よさを感じて過ごす。命を次へとつなぐ。ただ、それだけだ。

きっと、うしさんには「記憶」はあっても「思い出」なんてものはないんじゃないかな。

小さなぷにぷにの手や、ほんとうにきれいな顔や、いろんな思い出にまだまだ私は囚われてしまう。なんとも、愚かだねぇ、ヒトというのは。

「呑んでるときは柴田理恵泣きになるから、どうぞお気になさらずに」

そう夫に言いながら出窓から離れ、グラスにウイスキーを入れた。

今夜も美味しいお酒は、変わらず美味しい。お酒が飲めるヒトでよかった。