夕子ちゃんのこと。

山崎

母は、わたしが物心つくころからパーキンソン病だった。

空飛ぶスケートボードに乗ってたマイケル・J・フォックスが患った病気、で知っている人もいるかもしれない。オリンピックで手を震わせながら、聖火をかかげたモマメド・アリが分かる人は昭和生まれか。

「お母さんは、それはもうきれいで、三鷹の総合病院で婦長としてばりばり活躍していた」

なんていう父の話しは、まるでわたしにはピンとこず。
わたしの知る元気な母は、保育園児のわたしと運動会で飛び跳ねている写真の中だけだ。

思うように動けない母の代わりに、幼少のわたしをあちこちに連れ出してくれたのは「夕子ちゃん」だった。

スナックのママで美空ひばり似の夕子ちゃんは、まぁ、カテゴライズが必要ならば「父の不倫相手」というところだ。

釣り堀、山菜取り、海や…あとはどこだったっけ。

いちばんよく覚えているのは、やはりスナックのカウンターだ。それもカウンターの中。
はしっこに置かれた赤い丸椅子に座らされて、よいどれる大人たちの姿を毎晩のように眺めていた。

「どこの子どもだ」と聞かれるたびに夕子ちゃんは「うちの娘!」と大きな声で笑った。

カラオケが世にはやり出すと同時に、夕子ちゃんのスナックにもおっきなカラオケ機器がお目見えした。

テレサテンも、銀恋も、美空ひばりも、全部夕子ちゃんから教わった。
「どんなに酔いつぶれてもカウンターにつっぷしたらいけん。はずかしい」と、中学生のわたしに教えてくれたのも夕子ちゃんだ。

時代の波にあらがえないのは田舎も同様で、バブル崩壊とともに、スナック経営も、父の仕事もうまくいかなくなった。

いつしか父と夕子ちゃんは、金の切れ目が縁の切れ目ならぬ、負債の切れ目が見えなさすぎて縁の切れないふたりになっていく。

父の負債は、家族にも影響を及ぼした。これはだめだと縁を切り(向こうはどう思っていたか知らないが)、会わなくなってからもう20年近くたつ。

「夕子ちゃんとふたりでいるのを見かけたわ」と姉から聞くたびに、「ぜ…ったい会うことがありませんように」と思うと同時に、夕子ちゃん、まだお父さんといるんだなぁと考えていた。

会いたくない人に会えるのは、田舎だからこそだ。
数年前、わたしの働く場に父はふらっと訪れた。横にいるのは、夕子ちゃんではないほかの女性だった。

夕子ちゃん、元気ですか。

あなたが抱え上げてくれた子どもは、成人して納税するまでになりました。

壁にずらりと並ぶお酒の瓶に、カウンターで酔いどれる大人たち。


人間のどうにもダメなところも、いいところも。お酒と一緒に全部笑いとばすあなたの姿が、わたしの酒呑みの原点です。

夕子ちゃん、元気ですか。

夕子ちゃん、いっしょにお酒が飲みたいです。